これからの伝道 (2)

 わたしたちの教会は危機的状態にあります。存立の危機です。振り返ると30年前の文章に「教会の危機」とか「危機意識の共有」という言葉があふれていました。日本のキリスト教界で混乱と教勢の低下が始まった1970年から数えるとすでに半世紀の間、日本国内におけるキリスト者人口の減少は進行し続けています。このままでは消滅にむかって縮小し続ける現象を食い止めることができません。少子高齢化の進行する環境の中で、教会はどうのようにすればこの危機的状況に対処できるのでしょうか。ここにわたしたちの課題があります。すでに様々な見解が提出され、議論され、また一部は試験的に試みられた方策もありますが、いずれも「焼石に水」の状態です。わたしたちの教会は長期的にみて、今後どうなるのでしょうか。わたしたちの教会はどのようにしたら将来構想を描くことができるのでしょうか。

何が起こっているのか

 伝道の行き詰まり状態がつづいています。教会が伝道において怠惰であるわけではないのです。しかし各個教会における受洗者の減少が止まらないのはなぜなのでしょうか。教会は福音を説教することにおいても真剣に取り組んでいます。しかし、福音が伝わらないのです。何故でしょうか。いったい教会の伝道活動において何が起こっているのでしょうか。

 前回、簡単に触れましたように、すでに久しい以前から、教会が使用している「コトバ」と、教会を取り巻く社会が使用している「コトバ」が共通言語でなくなっている実態がありました。「コトバ」を「貨幣」に例えれば、教会内で使用している「貨幣」と教会の周辺社会に住む人々の使用している「貨幣」が別の通貨になっているようなものです。いわゆる「交換的価値」をもつ通貨でなくなっているのです。「交換的価値」とは通貨交換ができる共通価値です。このように教会が伝道するときにその前提条件である「コトバの交換的価値」に変化が起こっていることを無視すると空を打つ拳闘をすることになってしまいます。説教について言えば、説教者の語る「コトバ」が、聴衆との間で「交換的価値」をもつ伝達方法ではなくなっているという問題です。福音伝道において、「語る者にとって価値あるもの」は「聞く者にとって価値あるもの」であるという前提は成り立っていない現実がそこにあるのです。そうであれば、その原因の究明こそが焦眉の問題になります。この問題は思いつきや既成の方法論では解明することができません。方法論の精査と吟味が必要になります。

問題の捜査方法

 伝道と説教の行き詰まりに対処するために、その実態の把握と原因の究明はどのように進めればよいでしょうか。究明する目標は、伝道不振を引き起こしている原因の究明です。問題の所在は、福音の伝道において、「語る者にとって価値あるもの」は「聞く者にとって価値あるもの」であるという前提が成り立たなくなっている実態にあります。説教について言えば、説教者の語る言葉が、なぜ福音を証しする力ある言葉とならないかという問題です。この問題の究明に重要な示唆を与えてくれる比喩による説明があります。それはローマン・ヤーコブソンが『一般言語学講義』において示している「アパートの譬え」です。ローマン・ヤーコブソンは、真理(犯人)が「言語の内部」に潜んでいるにもかかわらず研究者はアパートに踏み込むことをしないで、アパートに出入りする人物を調査したり、周辺情報をあつめて真理(犯人)を特定しようとしている。このような研究方法の誤りを指摘しています。「コトバの問題」は、言語そのものの構造にあるのですから、語り手や聞き手の心理、社会的背景、経歴や戸籍調査などの周辺情報をあつめても言語問題の真理(犯人)にまでは到達できないことを指摘しているのです。このヤーコブソンの「アパートの譬え」は、伝道不振の実態に直面しながら、「福音を証しする言語」そのものを研究対象として扱わず、周辺の事情や、社会的背景等の周辺調査に終始している誤りを浮き彫りにしているように思います。伝道と説教の行き詰まりを説教者の心理や説教準備のプロセスに問題を措定して、説教者の熱心や努力で克服しようとする試みは、間違いではありませんが、原因の究明にはつながらないでしょう。なぜなら問題は、「アパートの内部(言語の内部)」に潜んでいるのですから。また伝道が進まない原因を日本人の精神構造や精神史的背景の研究によって説明する方法もアパートの周辺調査のたぐいといえます。問題の解決のために特定すべき犯人は、語り手と聞き手の間において起こっている「言語問題」の中に潜んでいます。「ことばの交換的価値」を阻害している言語問題を解明する必要があります。「アパート」の内部に踏み込んで、犯人が潜んでいる部屋にまで踏み込むことが、伝道と説教が直面している問題に取り組む第一歩になるように思います。(つづく)