これからの教会 6

 前回、「教会の姿・かたち」をテーマとして論じ、各個教会の現状が「タテ型社会」であり、教会における人間関係の基本構造が「タテ社会の人間関係」になっていることを問題にしました。「教会とは何か」という観点から抜本的に検討すべき課題は、キリスト者の教会への帰属が人間関係に依拠するのでなく、信仰告白による契約関係に依拠するように切り替えていく課題を指摘しました。

 「教会のかたち」と「失われた30年」

 教会が信仰告白による契約関係によってなりたつ部分社会であることは、各個の水準で問題にされるだけでなく、全体教会である日本基督教団の水準でも要求される重要な条件です。そこで論述の視野を全体教会としての日本基督教団に拡大して、この問題を論じてみたいと思います。
 「失われた30年」という言葉が政治・経済の分野を中心に使われています。「失われた30年」とは、いわゆるバブル崩壊後の日本経済の変化を大きく捉え、日本経済の長期的停滞を分析するための概念として使われます。1990年代初頭から始まる日本経済の変化を背景に「失われた30年」という着想によってバブル崩壊後の日本社会の課題をトータルにとらえようとする着眼点がここにあります。1990年から現在に至る時期の日本の国力の衰退は、国民一人一人が実感できるほどに顕著になっています。その原因は複合的であって単純化できませんが、長期間続いたデフレや金融政策の遅れ、少子高齢化と労働力の減少、技術革新の停滞、国際競争力の低下、社会保障費の増加などの複数の要因が絡み合って、長期的不景気や低成長を続けてきたと言われています。このように「失われた30年」という言葉は、日本社会における経済の長期的な停滞を分析するために使われるようになった概念ですが、この概念の長所は1990年から現在に至る社会現象をトータルにとらえる点にあります。日本社会の実態を個々の部分でとらえるのでなく、複合的要因が絡み合っていることを踏まえて日本社会全体をいろいろな視点からトータルにとらえようとするアイデアがここにあります。
 このように日本社会では「失われた30年」という概念とその着想からなされる分析や見解によって政治、経済、ジャーナリズムの分野では冷静に議論ができる状態になっています。「失われた30年」を歴史的観点からとらえると、経済の停滞がつづいた期間であったことが挙げられます。それだけでなくいわゆる「55年体制」と呼ばれる日本の経済の高度成長期を支えた「戦後政治体制」が崩れ、それに代わる体制を見つけられなかった期間としてもとらえることができます。30年を通して観察すると「政治改革」、「構造改革」、「政権交代と挫折」、「安倍一強体制」などのキーワードが使われますが、30年間を貫く政治、経済、文化の形成理念を見いだすことはできません。30年を通してみれば、戦後の経済成長を支えた体制が崩れ、それに代わる安定した構造を作れなかったことが国力を低下させる結果になったことが明らかです。このように30年という「時間軸」を導入することにより問題が何処にあり、何が課題であるかも明確にすることができます。それが「失われた30年」というコンセプトの利点といえましょう。

 キリスト教会と「失われた50年」 

 「失われた30年」というコンセプトに対してキリスト教会においてはどうでしょうか。日本における教会の歴史をとらえると衰退の開始した時点は明らかです。とくに1969年あるいは1970年から日本基督教団は混乱と衰退に入っていきました。ですからそこを起点として50年、あるいは55年が日本基督教団史の歴史区分になります。そうであれば、ここで50年間を視野にいれた考察、すなわち「時間軸」として「失われた50年」というコンセプトを導入し、50年をトータルに分析する考察が求められることになります。
 日本基督教団においては内部対立と分裂状態が長期間続いているために、自分自身を客観的に観ることができない状況が続いています。日本基督教団の実情は、自分自身を対象化できない状態です。したがって「失われた30年」であろうと「失われた50年」であろうと、自分を対象化し、30年あるいは50年をトータルにとらえて分析する発想は生まれず、そのような洞察も生まれてきません。日本基督教団の会議においては、絶えず「当面の政局」が焦眉の問題であり、「政争」に明け暮れる会議から離れられない実態が続いています。現在の日本のキリスト教会に必要な洞察力は、自己を対象化できる能力です。「政局・政争」という視野でなく50年を通しての日本のキリスト教会を対象化する視界であり、50年を「失われた50年」として対象化できる分析力です。日本のプロテスタント教会の「失われた50年」において何が失われたのでしょうか。教会を教会として成り立たせる「教会の生命力」の衰退を冷静に教会史的視野において分析的に把握する必要があります。そもそも日本国内にプロテスタントキリスト教が伝えられたのは1859年(安政6年)のことです。江戸時代から明治時代の転換期に来日した宣教師たちは、福音伝道と教会建設といった宗教面だけでなく、学校の建設による教育への貢献、また医療や福祉施設の建設に参加することにより、明治期の日本社会の近代化に深く関与しました。今から十数年前になりますが、「横浜伝道史跡めぐり」に参加したことがあります。成仏寺(ヘボンら宣教師の日本での最初の宿舎跡)、宗興寺(ヘボン診療所跡)、本覚寺(最初のアメリカ領事館跡)などの史跡をめぐり、明治期の宣教師たちの日本伝道への志に思いを馳せました。なかでも本覚寺の山門から眼下に広がる東京湾と横浜市街を眺めながら、横浜から上陸し、横浜から日本伝道を開始する志を掲げた宣教師たちへ敬意と感謝の想いを共有しました。それは160年以上を経た今日、日本伝道の志を受け継いでいくのは自分たちであるという思いの共有でもありました。明治期の宣教師たちは、福音伝道と教会建設、学校の建設と文字文化の普及、医療と福祉活動を近代化黎明期の日本社会で展開しました。その活動と働きは、キリスト教会の基本的働きである「福音伝道preaching, 教育teaching,癒しhealing」の業の展開といえます。キリスト教会の存在理由は、いつの時代でも、どこにおいても基本はかわりません。しかし、今から160年以上前の日本社会と現在の社会は同じではありません。それどころか大きく変化しました。政治・経済・文化・医療・芸術あらゆる領域で近代化は進行し、社会は成長し、ある部分は成熟しました。そのことを踏まえて「失われた50年」を振り返り、教会の衰退と縮小の実態を分析する必要があります。

 これからの教会の「姿・かたち」

 これからの教会の「姿・かたち」を求めて行くときに「失われた50年」という教会史的視野が必要であることにふれました。しかし、新しい思考の枠組みによって「これからの『教会の姿・かたち』」を求めるような発想の転換が難しい現実があります。現在のキリスト教会に必要な洞察力は、過去50年を教会史的視野で冷静に振り返り、キリスト教会の過去50年をトータルに対象化して分析的に論じる能力です。それは日本キリスト教史160年の中の最近の50年を「失われた50年」として対象化できる教会史的視野です。それでは日本のプロテスタント教会の「失われた50年」において何が失われたのでしょうか。教会を教会として成り立たせる「教会の生命力」の衰退を冷静に教会史的視野において分析的に把握する必要があります。
 「失われた50年」について日本基督教団に限定して論じていますが、プロテスタント教会において起こっている縮小と衰退の減少は、日本基督教団のみでなく他の教派・教会においても同じように起こっています。しばらく前には、わたしたちの教会と「福音派教会(Evangelicals)」を分けて、教会の縮小現象は、わたしたちの主流派教会で進行しているが「福音派教会」は衰退していない、と言うように分けて論じる時期がありました。しかし、現時点ではそのような論じ方は無意味になっています。「失われた50年」という視野の中には、わたしたちの教会も福音派の教会も同じように入っており、生命力が衰退し縮小現象の中で同じ壁に直面しているからです。

 「失われた50年」において教会から何が失われたのでしょうか。「失われた50年」を日本教会史の文脈の中に位置づけた上で、教会がどのような「教会の姿・かたち」を形成してきたか、あるいは形成し損ねたかを分析的に論じる課題は避けて通ることはできません。(つづく)