「説教者は聴き手になれない」
「作家は読者になれない」あるいは「説教者は聴き手になれない」ということを認める必要があります。ある作家の作品がどのように読まれるかは、作家にはわかりません。読者は一つの作品を読むときに作家がどのような意図をもって書いたかは知りませんし、知る必要はありません。その作品自体が語りかける言葉を読みとることが作品鑑賞の基本です。つまりそこには「作家の意図」を「作品の意図」として読み取らねばならないという束縛はありません。ところが説教をめぐる問題においては、奇妙ともいうべき実態が存在しています。その実態とは、「説教者の意図」は「説教の意図」であるとする強力な固定観念です。この固定観念そのものを吟味・検討するために対象化することができないところに問題があります。そのために説教そのものを説教者から切り離して検討の対象にする必然性が理解されないのです。筆者が1986年に在外研究から帰国し新しい説教学の学問的状況を紹介しました。その時に日本国内で最初に「説教分析」という研究分野を紹介しました。当時、説教学の中心はドイツ・ハイデルベルク大学にありました。「説教分析」はルドルフ・ボーレンとゲルト・デーブスを中心に研究が始まったばかりでした。そもそも「説教分析」という研究分野がなぜ生まれたかといえば、「説教者の意図」を「説教の意図」とすることはできない、という実態が明白になったからです。そこで起こっている問題を最初に発見したのは言語論の分野でした。しばらくしてそれが「20世紀の思想史的事件」として人文系の学問諸分野で取り組むべき問題になりました。「言語論的転回」という言葉は、どの分野においても取り扱わねばならぬ課題を意味しています。「言語論的転回」は思想史的事件ですから思想問題を扱う分野は無視することができません。この思想史的動きに文学界はこの現実をいち早く受け入れました。「書き手は読み手になれない」「語り手は聴き手になれない」というテーゼを受け入れ「作家は読者になれない」ことは直ちに共通認識にまでなりました。それをどのように表現するかは別として、「書き方(エクリチュール)と文体(スタイル)は同一化できない」という言語論的テーゼを人文学系の学問分野は受け入れる状況が生まれたわけです。そこから修辞学の復興が起こりました。修辞学の再発見は説教学にも多大な影響を与えることになり20世紀の終わりの時期は「修辞学的説教論」が登場することになりました。古典的修辞学ではなく新しい修辞学が学問的世界に復活しました。その復活の経緯は作者の視点から独立した「受容」あるいは「享受」の視点が確保されたことによります。文学の領域で言えば、「文学作品」は作家から切り離されて独立した位置が与えられています。だれも「文学作品」を読む目的を「作家の意図」を読み取る方法と考えません。一つの「文学作品」には、その作品が実現している文学的価値がその作品に内在しているからです。このことはさらに批評家にも独立した位置が与えられることになりました。文学作品に独立した位置を与えられていなかった時代には、その文学作品が実現している芸術的価値をもっとも適切に説明できるのは、その作品の作家であるとされていました。しかし、「文学作品」そのものに芸術的価値をみとめるようになってからは、作家・作品・批評家にそれぞれ独立した位置が与えられることになりました。このように文芸学の分野では、作家と作品が分離され、さらに批評家にも独立した位置が与えられることになっています。このように「作家の意図」と「文学作品」は切り離されますから、「文学作品」を読んで作家の意図を読み取る方法は、文学の鑑賞としては成り立ちません。仮に作家が作家の立場で作品の意図を語っても、読者はそれに縛られることなく作品がそこで実現している文学的価値を読みとることが文学鑑賞の基本とされています。このように「作者の観点」と「読み手の観点」は、それぞれ独立した観点ですから両者は同一に扱われてはならないことは明らかなわけです。「語り手の観点」と「聴き手の観点」は峻別されねばならず混同されてはならないということは、それまで疑われることがなかった「説教は説教者のものである」という固定観念を覆すことになりました。そして「説教は説教者のものでありながら、聴き手のものでもある」という説教の定義の拡大が起こりました。語られる説教の言葉の一つ一つが聴き手の想像力の中で新しい世界を創造していく実態に価値を見出すようになりました。説教の言葉に独立した位置が与えられると、説教の言葉は説教者の意図をこえて新しい世界を創造する言葉になっていくことがとらえられるようになりました。「説教分析」は説教の言語の中に内在する自律的に働く運動を読み取り、そこで説教言語が古い世界を洗い流し、新しい世界を説教言語が創造するという「言語による世界の生成の構造」を読み解く研究として説教学の中に位置を持つようになったわけです。
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ここで「説教は説教者のものであり、同時に聴き手のものでもある」という説教の定義、また「説教者は聴き手になれない」という説教理解がどこから生まれたかについて触れておきます。このような説教の定義は、説教学や説教研究が自ら獲得したものではなく、20世紀の思想史という学問的環境から刺激されて受け入れたものです。それは「20世紀の思想史的事件」ともいわれる「言語論的回転( Linguistic turn )」によって説教学の外側からもたらされました。そもそも哲学や歴史学、社会学、心理学などの人文科学は、それまでそうしてきたように「世界・人間」を考察の対象にしてきました。その対象を論じる場合も、まず世界と人間が先にあり、言語はそれを写し取ったり運んだりする手段であり道具として位置づけられていました。ところが「言語論的回転」においておこったことは、考察の前提としてきたものの方向転換です。それまで「神・世界・人間」そのものを考察の対象にしてきた方法論を180度回転して、「神・世界・人間」を対象として論じるには、まず言語を分析しなければ実態を把握できないという方法論に関する転換でした。この思想史における出来事が、「事件」と呼ばれ、「(言語論的)回転turn」と表現される理由は、対象を「世界そのもの」から「世界を語る言語の構造」に考察の中心を方向転換するという大転換がそこにあるからでした。この転換は、学問の前提そのものを入れ替える事件でした。この思想史的事件は神学にも影響を与えることになりました。とくに説教を自家の学問領域とする説教学においては、避けて通れぬ課題となりました。そこでの重要な問題は「言語とは何か」です。以前は、言語とは世界や思想を表現するための手段であり、道具でした。世界が先にあり、それを写し取る鏡が言語であったのです。ところが「言語論的回転」において、そのような思考の枠組みが根底から覆りました。世界・主体・意味を構成するものが言語であり、世界をとらえ理解する枠組みが言語であること、言語は世界を構成する枠組みそのものであることが明らかになったからです。このような「言語論的回転」を受け入れると、ロマン主義的言語観やそれを前提とした学問は成り立たなくなりました。(つづく)