これからの教会 5

 憲法をもっぱら条文の解釈・解明のみに関心を集中する憲法論は、憲法が歴史的生成のプロセスを持っていることを完全に見失っています。憲法を論じるときに、憲法に歴史的生成過程があることをはっきりとらえることができると、そこから新しい視点が定まってきます。それこそが憲法が造りだそうとする「国の姿・かたち」を論じる視点にほかなりません。

憲法と「この国の姿・かたち」

 ここで解明したい課題は、日本基督教団という「教会の姿・かたち」を「教憲」との関わりで明らかにすることです。そこで「教会の姿・かたち」を求める課題に接近するために、その前段階として「日本国憲法」と「国のかたち」という論点を明確にしておきたいと思います。すでに紹介しましたように司馬遼太郎は、「この国のかたち」という思想を、歴史小説『坂の上の雲』によって、また随筆『この国のかたち』において展開しています。その著作『坂の上の雲』において、近代日本の黎明期に明治人がどのように国を創っていったかを描き出しました。とくに明治人たちが未完成の国家と自分の姿を重ねあわせ、新しい国創りの一部を担う気概をもって、まだ見えていない近代化への坂を上ることは「新しい国のかたち」の実現にむけての歩みであるととらえています。憲法学者佐藤幸治は、その著作の中で次のように記しています。「氏(司馬遼太郎)の言う『この国のかたち』とは、日本国民の精神のあり様とその反映である政治の姿を指すもので、まさにconstitutionの語の深い意味を巧みに表現しているように思われます」(『日本国憲法と「法の支配」』193頁、有斐閣)と書いて、そこから昭和憲法について言及します。「日本国憲法は、明治憲法下での悲劇的経験に鑑み、新たな発想と枠組みの下で『国のかたち』の再構築を図ろうとした国民の決意の表明であったはずだ」(佐藤幸治著『日本国憲法と「法の支配」』193頁)と、日本国憲法をconstitutionとしてとらえる意義を強調しています。佐藤幸治が憲法学者としてconstitutionをとらえ、司馬遼太郎の「この国のかたち」という考え方に同意している理由には佐藤幸治の憲法学者としての学識があります。佐藤幸治によれば、最近の法学者の間でなされる憲法論が、法典としての憲法の教義学的解明のみに関心が集中し、constitutionが本来持っていた、国や社会の姿・かたちを創り出していくというダイナミズムが見失われているというのです。佐藤幸治の言葉を引用してみます。「われわれ日本の国民は、『憲法』というと明治憲法とか日本国憲法というような法典のみを思い浮かべがちです。しかし、『憲法』という訳語が宛てられたconstitutionには、構造、体質、伝統、といった意味が含まれます。実際、徳川末期にconstitutionに接して以来、『国憲』『政規』『国制』『政体』といったさまざまな訳語があてられましたが、明治15年頃より公定用語として『憲法』の語が使われるようになり、大日本帝国憲法が制定されるに及んで『憲法』が決定的となりました。その結果、『憲法』というとまず憲法典が思い浮かべられ、constitutionが本来もっていた微妙な味わいが失われることになりました。われわれの住む国の姿・かたちはどのようなものであるかを省察し、より善き姿・かたちを求めて不断に努力する必要を忘れがちになりました。」(佐藤幸治著『憲法とその”物語性”』有斐閣、2003年、128頁)
 佐藤幸治は憲法学者として、規範的世界を規定する憲法の静的面と、規範的世界の姿・かたちを創り出す営みという憲法の動的面という「静と動の両面」の重要性を踏まえつつ、とくに後者に力点をおきながら、「この国の姿・かたち」を創り出す営みを強調します。歴史的現実の中で 「この国の姿・かたち」 を求める課題と憲法とを結びつけることの重要性を論じているのです。「憲法とは何か」という課題に対して、「国のかたちとは何か」を問い、憲法学者として「あるべき国家像」を探求するのが佐藤幸治の憲法論です。佐藤幸治が司馬遼太郎に賛意を表する意味は、その司馬遼太郎がその著作の中で「国のかたち」を創り出す不断なる営みに価値を見いだしている発想と洞察にあります。このように「あるべき国家像」を探求する作家や憲法学者の思想や洞察力に注目しつつ、私たちの課題である 「教会のかたち」 を探る営みを試みたいと思います。「この国のかたち」という思想の持つ握力は、憲法が歴史の中に生成過程を持つとともに、憲法が単なる法典にとどまらないダイナミックな形成力を内包していることにあります。日本基督教団の教憲の特徴が、「教会の姿・かたち」を歴史の中で形成する動的面にあることを明らかにする課題がここにあります。

これまでの「教会のかたち」

 ここで既成概念にとらわれずに、「憲法」も「教憲」も歴史的生成物であることを、具体例をもちいて探ってみたいと思います。たとえば「姿・かたち」の歴史的変遷を「商店の姿・かたち」を例にとって考えてみます。かつての日本社会には「駅前商店街」がありました。「駅前商店街」という言葉から、「駅前商店街」を映像のようにイメージを思い浮かべることができる年齢層の人たちもいると思います。さらには「駅前商店街」と「シャッター通り商店街」という言葉を並べると「駅前商店街」の「姿・かたち」のイメージは途端に変化します。「商店のかたち」の変化をそこで思い浮かべることになります。「駅前商店街」はもはや通用しなくなった(しなくなっていく)「商店のかたち」であるようです。同じように「商店のかたち」の一つである「百貨店」を思い浮かべてみます。「百貨店」は、かつて「商店のかたち」のトップランナーでした。「百貨店」はさまざまな商品を一か所で販売する大規模小売店です。商店街の小売店とは違い、大型百貨店の店舗には、一階は化粧品やファッション、二階は紳士服、3階は婦人服と宝石、4階は家具と家電、5階は文具やスポーツ用品、6階にはイベント会場があり特設イベント、セールなどが開催され、最上階には食堂がありました。そして屋上には、児童向けの遊園地があり、かつて「百貨店」は「デパート」と呼ばれ小売店の花形でした。しかし、最近、「デパート」は次々と閉店していく没落状態にあります。その理由は、オンラインショッピングや インターネット通販が急速に広がり、大手ディスカウントストアやコンビニエンスストアとの価格競争での敗北が挙げられます。それだけでなく「デパート」が「小売店」として、どこでも買える一般的な商品をラインナップしていることに魅力を感じない消費者の嗜好にデパート側がついて行けなくなっています。都会の有名デパートは、一階の最良店舗部分を有名ブランド店に提供し、生き残りをかけていますが、果たしてどうなるのでしょうか。確かなことは、かつて消費者たちが家族そろって「デパート」に行き、「最上階の食堂」でお子様ランチを注文し、屋上の遊園地で子供を遊ばせた時代は完全にエピソード化したことです。
 さて時代に取り残された「デパート」と呼ばれる「大型小売店のかたち」と、わたしたちの「教会のかたち」を並べてみるとどのようなことが言えるでしょうか。「百貨店」が「デパート」と呼ばれ花形のトップランナーであった時の時代感覚をいつまでも脱ぎ捨てられないために没落していく実態と、「本質」を大事にしていれば「かたち」にはとらわれないという方針を続けていたために、一般の人々の関心事項についていけなくなった教会の姿があまりに似ているように感じるのは私だけでしょうか。もちろんデパートが営業利益を求める企業であり、教会とは存在目的が違うことは踏まえる必要があります。しかしそれを承知のうえで旧態依然の「姿・かたち」を脱皮できないデパートと、旧態依然の「姿・かたち」を教会の本質であるとして検討の対象にすらしていない教会の実態はあまりに似かよっています。かつて「最上階の食堂」でお子様ランチを食べさせ、屋上の遊園地で子供を遊ばせた時代には、デパートは消費者のブランド志向や個性を無視し、一般的な商品を並べておけばお客はやってきたのです。しかし、今やそれは昔話になり、エピソードになってしまいました。明らかにデパートは、「商店のかたち」を無視してきたからです。もともとデパートには、一般的商品を並べるだけでなく、イベント会場では、ファッションショー、各種展覧会、音楽会など文化の発信地であろうとした動機もあったようです。しかしそれを「デパートの姿・かたち」にまで展開できぬまましぼんでしまったようです。文化的に地盤沈下の進む土地の上で没落状態にある「デパート」と、同じ沈下する地盤の上で一般社会よりも一歩も二歩も少子高齢化が進み、次世代の継承者不在の教会の姿は、「姿・かたち」を軽んじてきた者としての姿が似ています。
 わたしたちの教会は、どのような「姿・かたち」を形成してきたかを「50年のスパン」で振り返ってみると、最初に気づかされるのは、各個教会が牧師を中心にしたタテ型社会であったことです。教会に所属する信徒は、信仰告白と洗礼によって教会に帰属するわけです。ですから教会という部分社会は、タテ型の人間関係で構成されるのではなく、信徒が対等関係で横並びの構造になるはずです。ところが教会の実態は、神道の「家的構造」や仏教寺院の「檀家制度」にも呼応するようなタテ型社会になっており、また「タテ型人間関係」で教会という部分社会が成立しています。さらに「家父長形タテ型社会」であることも指摘できます。そこでは牧師は寺院の住職とほぼ同じように庫裡すなわち牧師館に住み、相撲部屋の親方のようにすべてが牧師中心に運営されるかたちが見られます。「牧師夫人」も相撲部屋の女将さんのような位置にありました。昨今は牧師の妻も職業人となることが多くなり「牧師夫人」の地位も陰が薄くなってきました。しかし、一つの個教会に一人の牧師が就任しており、その牧師は牧師館に住み、いつ信徒が訪ねてきても相手ができるという教会の姿を思い描く高齢者は少なくないと思います。「タテ型社会」は、文化人類学者中根千枝の日本社会の構造を説明するうえで説得力のある理論の一つです。(中根千枝著『タテ社会の人間関係』1967年)中根千枝によれば、日本社会の人間関係の基本構造を「タテ型」と呼び、個人は「場」に所属する事により帰属意識をもち、そこで上下関係を形成する特徴をもつことが指摘されています。教会はタテ型社会を形成するかたちで「小さな日本社会」を再生産するかたちで存続してきた面があります。教会への帰属が信仰告白による契約関係よりも人間関係に依存するタテ型社会を再生産していることは否めないように思われます。(つづく)