「姿・かたち」という思想
この「姿・かたち」という思想は、作家の司馬遼太郎の発案に依っています。司馬遼太郎の作品『坂の上の雲』や、随筆「この国のかたち」(月刊誌『文藝春秋』の巻頭随筆、1986年から1996年まで連載)のなかで、「国のかたち」という言葉と思想が次第に生成されました。政治学者高坂正堯も著書『世界史の中で考える』(1997年刊)の中で、「憲法と拙く訳されているconstitution の日本語の訳としては、司馬遼太郎の”国のかたち”がもっとも適切だと私は思う・・・」(『世界史の中で考える』127頁)と書いています。また、憲法学者佐藤幸治は、著書『日本国憲法と法の支配』(2002年刊)『憲法とその”物語性”』(2003年刊)において、憲法の定義について論じ、憲法constitutionを「国のかたち」という語彙で論じることの積極的意義を主張しています。その際に佐藤幸治は「国のかたち」という思想が司馬遼太郎から発出していることを紹介し、司馬遼太郎に賛意を表しています。
筆者は司馬遼太郎の著作『坂の上の雲』や、随筆集「この国のかたち」を読み、佐藤幸治の憲法論に刺激をうけながら、「Church Constitution(教会憲法)」を「教会の姿・かたち」としてとらえる思想を提示し、神学論文として発表してきました。(拙論「日本基督教団の『教会のかたち』」「神学」74号に所収、東京神学大学神学会、2012年12月刊)この考え方を用いることによって、教憲論と教団形成論の結びつきを動的(ダイナミック)にとらえることが可能になることに気づかされたからです。ところで、司馬遼太郎が「国のかたち」という言葉で何を伝えようとしているかはさまざまな解釈を可能にします。そこで筆者がどのように受け止めたかを短く記してみます。
「坂の上の雲」
司馬遼太郎の歴史小説『坂の上の雲』を読みましたときに、新鮮で小さな驚きを感じました。『坂の上の雲』は、明治期に四国の松山に生まれた三人の人物(正岡子規と秋山好古・真之兄弟)を軸に、日露戦争の終結までを壮大な歴史小説として描いている作品です。司馬遼太郎は、この作品の中で近代日本黎明期に日本人がどのように国を創っていったかを生き生きと描き出しています。そこに描き出される明治人たちの人物像は、「パブリックな思想」と「合理主義の価値」を追求する清廉な精神と志をもつ若き明治人たちです。『坂の上の雲』の中では、近代国家の形成という下敷きのうえに、未完成の国家と未完成の自分の姿を重ねあわせる明治人の姿が印象的です。彼らは「この国のかたち」そして「自分のかたち」を創り出すという気概をもって、目の前に浮かぶ雲を見つめながら近代化への坂道を上っていきます。その坂道の上の雲とは「この国のかたち」「あたらしい人間のかたち」という目標です。まだ実現していない「坂の上の雲」を求め、それをめざして突き進む者の姿が鮮明に描きだされています。司馬遼太郎自身が「この物語の主人公は、あるいはこの時代の小さな日本ということになるかもしれない」とのべています。
この歴史小説は「坂の上の雲」を描きだそうとします。「雲」とは、まだ見ていない坂の上の世界の象徴です。坂の上に何があるのかわからないのです。若き明治人たちには、未だ坂の上に実現する「国の姿・かたち」を描き出す力はないのです。ですから、坂の上の近代化された日本、すなわち新しい近代的国家である「この国のかたち・姿」を求めて、近代化という坂道を上っていく「新しい人間たちの姿」を司馬遼太郎は描き出します。司馬遼太郎が描き出すのは、明治期に登場した「新しい人間たち」です。その新しさとは、「人間としての姿・かたち」の形成と「近代的国家の姿・かたち」の形成が、二つの課題ではなく、一つの課題となっている二重の新しさです。このような『坂の上の雲』に登場する三人の人物(正岡子規と秋山好古・真之兄弟)のような新しい人間像がもはや失われてしまった時代の中をわたしたちは生きているように思われます。これからの「教会の姿・かたち」を求めて行く作業は、まだ見ていない「坂の上の教会の姿・かたち」を求めることにほかなりません。これからの「教会の姿・かたち」は、教会の組織や政治形態を論じることではなく、司馬遼太郎が「姿・かたち」という概念によって日本という国の歴史・文化・精神性を探ったように、わたしたち自身が、日本のキリスト教会はどのような教会か、日本のキリスト者とは何者であるか、そして「これからの『教会のかたち』」は如何なるものなのかを描き出す試みへの挑戦になると思います。
「憲法とは何か」
「これからの『教会のかたち』」を探っていくために、司馬遼太郎に賛意を表しながら佐藤幸治は憲法学者として「憲法constitution」を論じることによって「この国のかたち」を探っていく論述を展開しています。佐藤幸治は「憲法constitution」が「この国のかたち」をダイナミックに形成する原理であることを強調します。筆者は佐藤幸治と同じ方法で「教会憲法Church Constitution」は、これからの「教会のかたち」が導き出される源泉であることを明らかにしたいと考えています。そこで最初に「憲法constitutionとは何か」について取り上げ、そののち「教会教憲Church Constitution」について論じることにします。一般に「憲法とは何か」を論じる場合、憲法を「国家という統治団体の存在を基礎づける基本法」と呼んできました。そこから更に踏み込んで、「近代的意味の憲法」と言った場合には、「ある特定の内容をもった法」としての憲法が想定されています。その場合の「ある特定の内容をもつ法」とは「立憲的意味の憲法」という意味になります。「立憲的意味」という用語は、「立憲主義の思想」と強く結びついています。この「立憲主義の思想」は、ジョン・ロック(John Locke、1632-1704)や、ジャン=ジャック・ルソー(Jean-Jacques Rousseau、1712–78)らによって基礎づけられた「自然権の思想」です。憲法学者芦部信喜は「自然権の思想」を次のように説明しています。
「この思想によれば①人間は生まれながらにして自由かつ平等であり、生来の権利(自然権)を持っている。②その自然権を確実なものとするために社会契約(social contract)を結び、政府に権力の行使を委任する、そして、③政府が権力を恣意的に行使して人民の権利を不当に制限する場合には、人民は政府に抵抗する権利を有する。」(芦部信喜著『憲法』新版 補訂版 6頁)
このような「自然権思想」に基礎づけられて、個人の権利、個人の自由の保障を目的とし、専断的な権力を制限するところに「近代的意味の憲法」の特徴があります。このような統治権力を制限して個人の権利・自由を保証するという近代自然法思想に基礎づけられた「近代的意味の憲法」がアメリカ合衆国憲法(1788年)、フランス憲法(1791年)、日本国憲法(1946年)などの諸憲法です。
ここで確認しておきたい一つの重要なポイントがあります。「近代的意味の憲法」は、17世紀のイギリス革命、18世紀のフランス革命などの「近代国家と市民社会の成立」を方向づけた巨大な転換点を経て形成されてきた「歴史的生成物」である、というポイントです。近代的意味の憲法には歴史の中に生成のプロセスがあるのです。そもそも憲法とは「ある特定の内容をもった法」のことですし、憲法のもつ「ある特定の内容」は、歴史の中に生成過程をもっており、歴史的生成物なのです。「近代的意味の憲法」は、超歴史的な理念に由来して成立する非歴史的法ではありません。歴史の中に形成過程を持っていると言う意味での「歴史的生成物」なのです。このことは、近代的意味の憲法の中心的基礎理念である「自由」と「人権」がどのように形成され、どのように憲法の基礎理念へと成長したのかという歴史的プロセスを考えてみれば明らかです。「近代的意味の憲法」の一つである「日本国憲法」は、この点を次のように謳っています。
「この憲法が日本国民に保証する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の成果であって、これらの権利は、幾多の試練に堪え、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。」(「日本国憲法」の第97条)
憲法を非歴史的法典としてとらえ、もっぱら条文の解釈・解明のみに関心を集中する憲法論は、憲法が歴史的生成のプロセスを持っていることを完全に見失っています。憲法を論じるときに、憲法に歴史的生成過程があることをはっきりとらえることができると、そこから新しい視点が定まってきます。それこそが憲法が造りだそうとする「国の姿・かたち」を論じる視点にほかなりません。(つづく)